副作用から考えた事
9月が終わりかけた頃、少しづつ元気になってきたクロマル
気圧の変化やら気温やらで1日おき、日替わりみたいに体調も変化して私の心配は変わりませんでした。
でもふと気付いたんですね。
不調を引きずってしまうのは、又、私の感情が関係してるんじゃないかと。
うつし鏡のようになっているんじゃないかと。
私がクロを「守る」気持ちは正しい守りなのか?
クロの心配事に支配されすぎてはいないだろうか?
そんな風に思いました。
私の骨折から始まって、父の入退院、転院、父の病気の心配、
この夏のいろいろな出来事のなか、驚くほどクロが成長してくれてものすごく心強かった。
それでも私がいろいろ辛かった分、クロも同じように負担に感じていたのかもしれない
いいも悪いもいろんな事を察知してしまう、だからこそ正しい依存関係にならないといけないんだ・・・
正しい依存、いや、普通の共存をするには飼い主はどうしたらいいのか、何をしたらいけないのかわかっていたつもりだったのですが、実際には全然できていませんでした。
最初にブログに書いた事と同じですね。
自分の不安がクロをよけいに不安に、不穏にさせている。
あらためてそう気づくとホントに凹みました。
私に自信がないんですね、
自分にもクロにも自信がない
これからはクロに自信をつけさせてやりたいと思っても、私に自信がなくては不可能だということです。
例えば体調も噛みも同じ事で
体調が悪くならないように気をつけたり、噛ませないようにしてきたから(もちろんクロの成長もあります)今まで悪化してしまうのを防いできたと言った方が正しいかもしれません。
予防、防ぐ事は大切、でもそれだけじゃダメでした。
これから本気でクロに自信をつけさせたい、キャパを広げてやりたいと思うなら、まず私が勇気を持って失敗を恐れず、例え何か起きても一喜一憂しない強さで一歩前に進まないと、防いでいるだけの現状維持だけでは何も変わらない。
ありのままを受け入れる
それで不安が解消するかはまだわからないけれど、大切なのはクロにあわせるだけの対応はもう止める事。
私のやり方をクロが受け入れてくれるような関係作り、問題が表面化しない関係ではない関係作りをしていきたいと思いました。
例え失敗してもそれはキャパを広げる挑戦でいつかクリアーできる目標にしながらいけばいい。
もちろんスモールステップは忘れちゃいけないけれど、 失敗を怖がる事はもうやめよう。
命にかかわらなければ 多少の無理はしてもらいます、それくらいの気持ちをもたないと。
多少の無理してもし具合がちょっと悪くなったり噛まれたりしても、それをがっちりと受け止めるように
下痢をしなくなったとか、不安になっていないとかそこで判断するのではなくて
食欲やいろんな健康状態全体を見て、クロのここまでなら大丈夫というラインを見極めて
心配はその線を越えた時にすればいい。
その線の前なら大丈夫と信じよう。
獣医さんに行くよりも家でゆっくり休んでいれば大丈夫、そこの見極めは幼い頃の記憶があるから難しかったけれどあの頃とは違うんだと無駄な心配や不安を捨てようと本気で思います。
クロの先生は違いますが、行動科の先生でも不安定だったり過敏な反応を示す犬に対して
優位、上下関係等の視点から、無視のような対応を勧める方は多いようです。
飼い主が明らかに過干渉な場合や、犬にクールダウンを促すようなタイムアウトの意味で提案されるのかもしれません。
でも、それとは根本が違う気持ち考え方で、犬に無関心を装う、もしくは自分が不安定なら視線を合わせない
私はそう学びました。
何となく同じような事でも心が違いますよね。
飼い主の辛抱、忍耐は必要ですが、犬の感情はなだめてやれる方法を学べて本当によかったと思います。
優位、劣位、上下関係・・・
そういう視点からのある決まった方法だけで生き物の心を安心させることって可能でしょうか?
家庭内で共に暮らす犬、一番必要なのは安心な環境ですよね。
犬も飼い主もそれぞれ、指導法も飼い主の考え方もそれぞれ
でも犬が求めてる事はみんな同じじゃないかと思います。
ここ数日も台風の影響で朝から抱っこの連続
抱いておさまるなら抱っこして、おさまって自分でおりたらすごいね!って褒めて
後は大丈夫じゃん!って
絶対に笑顔しか見せないくらいの気持ちで接してみよう。
乗り越えるのはクロマル
私は手助けしかできないのだから。
不安を増やすのは不安な視線
不安を消してやれるのは何でもなさそうな全ての気配、安心できる環境=安心してる飼い主なんだから。
写真はまだちょっと調子悪い時のお散歩
音や動きに敏感でした。
大好きなひも遊びも2週間近くできなかった^^;
どんな人間でいたいか・・・
そういうことも動物は教えてくれます。