生きている時に
17年間飼っていたカメのカメ太が死にました。
FBにはその日のうちに想いを書いたのですが、本当に淋しい
もう聞こえないはずの水槽の中で動くカメ太の音が、今もまだ聞こえる気がします。
子供の頃から何回も経験しているいろんな動物との別れ
出会った時から、飼い始めた時から、別れにむかって歩いていく事は悲しいけれど事実以外の何ものでもなく
(人も同じですけどね・・・)
お別れの時、犬や猫だけじゃなく水槽にはいっていても小さなケージの中にいたとしても
悲しみでいっぱいになる。
カメ太、淋しい夜だったね、カメ太、ごめん・・・
夜中に死んでしまったカメ太に、夜、たまたま声をかけないで2階に上がった自分にどうしても後悔が残ります。
イヤ、例えば、声をかけていたとしてもやっぱり後悔は残ったと思います。
命が消える事を受け止められなければ、動物の飼育は無理かもしれない
でも、だからこそ生きている間に自分ができる事はしてやりたい、そしてその時がきたらちゃんとしっかりして感謝をこめて送りだしてやりたい、
それが動物と一緒に暮らす私の基本なんだと思います。
今はクロマルとの毎日の中でいろいろと気付く事、教えてもらう事があります。
クロは今までの先住犬にはたまたまなかった噛みがでる犬です。
初めてそういう犬と暮らして、正直、悩んだり、心配する事は本当に多かったです。
でも、その分、日々の思い出は濃いですし(笑)
私が気付かされる事がとても多いです。
先住犬のみんな、あんなやり方してゴメン!と本気で思う事もありますね(笑)
原因は何にしろ、日々、噛ませない事をまず第一に考えてすごすようになって約4カ月
もちろん甘噛みもありましたし、転移噛みみたいなものもその前からありましたけれど
視界にはいる触られる手がダメになってしまってからの4カ月は本当に悩ましい日々です。
悩んでるのではなくて
悩ましい・・・
噛ませないようにする
という事は以前と同じ事ができなくなる部分もあるからです。
甘えてきたり、喜んで体ごと表現するクロの感情自体は以前と何も変わらないのに
前と同じようにこちらが手で触ってふれあう事がごくごく自然にはできなくなってしまった。
ある事以来、ふいに視界にはいった手に急に反応して反射的に噛みがでるからです。
もう思いだしたように、急に反応します。
フラッシュバックなんだと思います。
完全に忘れるのはきっと簡単ではないですね、楽しい思い、いい思い出で脳が書き換えられるように接してやりたいと思います。
何よりも自然に・・・
例えば触れ合いにしても手で触れずに、私の顔(マズルともいう(笑))で触っていれば噛ませる事もありませんから(笑)
オキシトシン、幸せホルモンは手以外でも発生するはず!と信じて、普段の触りが減った分、余計に眠る時に体をぴったりとよせて甘えるクロには、私のマズルで転がすようにスキンシップしたり、
がしっと触れても何の問題もない抱っこの時間がいつの間にか増えていたり・・・
ちょっと切ないような悩ましいような^^;
寝る時も体をぴたりとよせて甘えてる時、手も視界にはいらなければ大丈夫ですのでおしりあたりを触ってやるとゴローンとひっくりかえり、もっともっとと
そういう時にふと、あ、今だと手が視界にはいるなと思う自分がいるんです、
で私は自分のマズルを使うんですけど(笑)
手が視界にはいって又、思い出させたくない、絶対噛ませたくないと・・・
どうなんでしょうかね?そう思う事自体が間違っているんでしょうかね?
他人への事故防止が一番頭をよぎります、癖みたいになってしまって万が一よそ様の手だったらどうしよう・・・とか
自分はいいと思っているわけではないですけれど、もう噛まれ方もよ――くわかっていますので
致命傷にはならないし、その瞬間、もう私の心拍数も変わらないくらい平気になっていますから、クロの脳の変わりも早くすぐにはっと我にかえります。
でも何度もくりかえしてしまってもし、何かの時によその方の手をと思いますと
噛ませたくないの一言につきまして、いろいろ考えてしまうんですね。
お手入れとか抱っことかは何故か以前と変わらず今も何の問題もないので
抱っこの時間を長くしてクロの体を触って健康チェックしたり、お互いに体温を感じる時間をつくったりの毎日です。
時間がかかってもいつか、イヤな記憶が消える事を祈って
生きている時にたくさんの幸せな時間を共にすごしたい。
お互いが生きている間ってそんなに長い年月ではないから
毎日がとてもとても大切ですね。